お父さんの話 その2

Bonjour Madame!

お元気ですか。
夏休みが終わって何だか急に涼しくなりましたね。
雨が降ったり、蒸し暑かったり、
急に太陽がカンカンに照りつけたり・・。
天候が不順で、不調を訴えるお客様が出てきました。
「夏疲れ」というのでしょうか。

お店ではこの頃になると、健康談議に花が咲きます
とても無口で口数の少ない方でも、
健康のお話になると沢山お話してくれます。
皆それぞれ、健康については一家言あって、
とても楽しく、参考にもなります。
今日もそんな話をして
「健康な人は、健康に気をつけている」
と云う結論が出ました。
そして「健康で、おしゃれをして、
人生を前向きに楽しもう・・。」と話し合いました。

それでは、連載エッセー [心の糧Ⅱ] 
第25回目をお贈りします。

お父さんの話 その2


  お父さんの話
    その2・・命を救った家族の写真

お父さんは 
心ならずも戦争へ行かされ
敗戦と共に
シベリアに抑留されてしまったの
ひどい生活の中 
このままでは死んでしまう・・と 
決心して 脱走したんだよ
何としても 家族のもとへ帰らなければ・・と
思ったんだって

途中 汽車の中で捕まった時
たった一枚だけ ポケットに
大切に入れていた
家族の写真を見せたのだそうよ
そうしたら 
ソ連の まだ若い将校みたいな人が
「オー」って 赤ちゃんのばあばを指さして
またお父さんを隠してくれたそうよ

そうそう その写真ね
ばあばが赤ちゃんで まんまるいお目々で 
すんごくかわいいんだ・・
ばあばの赤ちゃんの時の写真は
これ一枚だけ
戦争で 他には何も残っていないので
お父さんが 大事に大事に持ち帰った
この写真だけなの

ともかくお父さんは 家族の元へ辿り着いて
それからみんなで 
満州から日本へ 
引き揚げ船でもどってきたの

その時も 満州では
「日本は壊滅状態で 
暮らすことが出来るかどうか 判らない・・」
と云う風聞が立っていたから 
生活の目途が立つまで 
子供を 中国人に預けようか・・と
思ったりしたそうで 
リュウさんと云う預け先まで 
決めていたのだそうよ
でも土壇場になって
「どんな苦労が待ち受けていようと
家族は離れてはいけない・・」と思い
一家六人で 
引き揚げ船に乗ったのね

ともかくお父さんは
飢えと 厳しい寒さの荒野を
何度 家族の写真を眺めながら
自分を励まし 歩きつづけたか・・
「その思い」が忘れられなかったのだろうね

その後 中国とは 
長いこと国交断絶していて
離れ離れになった家族が 沢山いたのだから
アァ 一歩先はどうなるか 
分らないものだねぇ
ばあばだって 
残留孤児になっていたかも知れなかったんだ

ともかくお船に乗ると
一家族に 畳一畳の場所が与えられ、
そこからはみ出ると ひどく怒られたそうで
お母さんは時々 
その時の苦労話をしていたなぁ

じっとしていない子供達を含め
一家六人が 
たった一畳の中に居るのを
もう今は 
想像すら出来ないでいるのだけれど
これは現実の事だったのよ

引き揚げ船の中は そんな風であったのに
ばあばの思い出は
お船で御馳走してくださった
すいとんの美味しかった事なの

二歳だったばあばは 
きっと決められた所からはみ出てばかりいて
ひどく怒られたりしていたのだろうに
そんな事 全く覚えていなくて
ぎゅっと握って作られた
あの白いすいとんの 形の面白さが
子供心に 
とても印象的だったことを思い出すの
そして 
お母さんのお膝に抱えられ
「ごちそうだね ごちそうだね」と言われながら
お口にいれてもらったのを
とても良く覚えているんだよ

© ささきけいこ


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